2010年5月27日木曜日

マーケティングの潮流〜1960年までは「販売思考」だった

今日、ある人から、日本のマーケティングの変遷について書いてある本を知らないかという問い合わせがあった。
確かに国語や算数、数学、科学も含めて何かを勉強するとか理解するときには、実はそれぞれの歴史を学んでいる側面がある。
残念ながら日本国内のマーケティング史についての本は見たことがない。(流通・小売中心のマーケティング史本は一冊あった。)

マーケティングは歴史が短いこと、急激に変化すること、もっぱらアメリカからの輸入に頼ってきたこと、それぞれの企業のなかで行われてきたことから、学問的に歴史の流れで説明することは難しいのだろう。

Twitterのなかでの「マーケティング」つぶやきもそのマーケティングの意味がバラバラなのもうなずける。
経験的、意味的な流れ=潮流でよければ、おおざっぱにはつかんでいるつもりなのでこのブログでもぽつぽつ紹介してみようと思う。

そうすれば、従来の手法の間違いや失敗を繰り返すことも少なくなるだろうし、新語や新概念と言われるものが出てきても、ああ大体こういう流れのなかなんだなと想像しやすいかもしれない。


第1回はアメリカのマーケティング 発生

マーケティングはアメリカで1900年前後に大学の講座名となり、当初「販売法」を意味していた。このあたりは色々な本やネットに書かれている。

マーケティングが生まれる前には、経済 (Economy)と、商取引(trade)、商業(commerce)、流通(Distribution)販売(sales)、そして広告(advertise)が既にあった。
だいたいが、後に来たものが前からいるものに影響を与える。

「企業の販売活動において、単にセールスマンを派遣したり、広告を行う販売計画以前に多くの問題を観察し、解決しなければならないことに気がついた」※というのがマーケティングの出発点だったようだ。このときのマーケティングは「販売思考」という言葉がもっともよく言い当てられる。
※「マーケティングの命名者」と言われるラルフ・スター・バトラーの言葉、1910年頃。ただし、マーケティングを言葉として使った流通関連の講座は1900年頃から現れている。;『マーケティング学説の発展』(ミネルヴァ書房)

それ以来、まあ1960年代まで「マーケティングは販売思考」というのは、大きく変わらないので次回は60年代。
えっ、60年もすっ飛ばすの?と言われるかもしれないが潮流では意味が変わらなければその間の、意味はない。

変化があったかもしれないが、誰も体験しているわけでもないのでよしとしましょう。
ただ、40年あたりに、シュンペーターが完全競争市場と「企業の創造的破壊の必然性」を提示して、それはマーケティングにもいまだに影響を与え続けている。